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SAOオーディナルスケールから考える個人と記憶

   

これは劇場版ソードアートオンラインのネタバレも含まれるためまだ視聴していない人やネタバレを嫌う人は見ないようにお願いします。

SAOオーディナルスケール簡単にまとめ

Scannable の文書 -2017-02-27 19_53_58-
劇場版ソードアートオンラインの話は、拡張現実(AR)の話であったが、結果をみると人々の記憶をかき集めて個人を作成していく話であった。記憶の集め方としてオーディナルスケールという機械を使って脳の記憶をスキャニングしていく話。記憶のスキャニングには脳への負荷があり、場合によっては死に至ることもありうると作品では言っていた。

さて、ここでの自分の疑問は2つ。
1つ目は個人以外の人々の記憶をかき集めてその人個人を作成できるのか?
2つ目は記憶という曖昧なものについてのこと。

個人を作成できるのか?

1つ目の話からしていこうと思う。
個人以外の記憶をかき集めて1人の個人の人格を模倣できるのかという点である。

これについてはNoと言っておきたいが、部分的にはYes。

作品では人々の記憶をかき集めることでひとつの人格を作り出そうとしている。しかし、人への接し方は友人・他人・家族などによって異なるということ。そして、その接し方の内に秘められたものが、その人の接し方として行動に起こされるのである。

つまり、自身が行動する場合は要因→行動→結果となるのである。しかし、相手の受け取り方は異なる。行動と結果のみを受け取り要因については考えていることもあるかもしれないが、正確に把握することは難しい。そして行動に対する結果の受け取り方は人によって異なるということ。

例えば、人によってはコップに半分水が入っている時、「半分しか入っていない」と受け取る人もいれば、「半分も入っている」と受け取る人もいる。

ネガティブに受け取るか、ポジティブに受け取るか?それは人においても同じ。いい人と受け取る人もいれば悪い人と受け取る人もいるのである。

様々な人たちの記憶をまとめた結果として個人を作成しようとなった時悪い人と受け取ることが多ければ、つまり結果を統合されて作られた人は悪い人になりうる。そして個人が保有していた人格とは異なるのではないか?

だって、過程や内面がない結果のみの集合体でしかないから。それは機械らしくない人間ではあるが、個人の模倣物としては疑問が浮かぶ。もし、仮に個人としての記憶もプラスされるのであればその個人の人格を形成できるとは思っている。

曖昧な記憶

次に記憶についてのことである。

記憶がなくなるからとアスナはノートに記録を残していく。ノートという紙に文字として記録を残すこと自体は理に適っているが、イメージやそこに至るまでの過程や気持ちをすっ飛ばした記憶は断片しかないので相当気持ち悪い感じがする。

イメージではあるが、ノートを部分的にしか読めないような気持ち悪さ。知りたいけど知れない。

また、記憶は曖昧なものである。もし、唐突に記憶がなくなっていても気づかない。
記憶の改竄も行えるかもしれない。あなたの子ども時代の記憶は本当のものだとどうやって証明しますか?

写真?動画?ノート?それも全て偽りだとしたら?

そもそも証明すること自体が大変な作業でもある。

なかかな自分たちは曖昧な世界で生きている。記憶が曖昧であるとなった場合、個人とはなんなのかという疑問も浮かぶ。

個人の人格は今までの経験のみによって蓄積されて作り上げられていく。そして、いくら客観的になろうとしても主観的な状況からは現在では逃れることができない。

つまり、個人の人格の形成は主観的な状況の中からでしか形成されない。
そう考えると記憶もそうだけど、視覚から入ってくる情報もなんとも曖昧だよね。

VRでの経験を記憶として残すのか?データとして残すのか?データとして残した場合ドッペルゲンガー的なものを作り出すことができるのか?

例えば内面の部分もデータとしてコピー(模倣)できるとしたら人間的なものを形成できるとも言える。

作品を見てそんなことを考えた今日この頃。

あとがき

まあ、そこまで深く考えなくてもただ単純になんとなく見ても楽しめる作品であると思う。

戦闘シーンと音楽とがマッチしているので音楽をひたすら聞いていたいと思ってしまうほど良かった。
特にラスボスシーンでのあの悲壮感あふれる音楽に惹かれてしまう。

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